東洋のガラパゴスと呼ばれている島。鹿児島県の奄美大島。
本土からは沖縄の方が交通の便がいいが、奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島。
この辺りが奄美群島と呼ばれていて、未開拓の秘島となっている。
いずれ自然遺産にもなりそうである。
圧倒的自然力。一言でそこにつきるのだが、あえて付け足すなら、何にもないけど、何でもある島。どこか昔懐かしい。心が癒される島であり、旅行者にとって、自然と人がバランスよく暮らしている奄美の文化に触れることによって「足るを知ることになる」島なのだろうと思う。
今の時代の流れに少なからず疑問を感じている人が多いことは、旅人と出逢い語らう仕事をしているとよくよく感じるところである。
この島で学んだことのひとつに、都会で大切にされている家族や友人との関係が、集落単位、地域単位で、自分たちのシマ(集落)の為にという理念に基づいて構築され続けていることがある。
地域活動に参加することでこの関係は移住者にも適合し、結い=助け合いの精神から地域力は高く、子供たちも育てやすい。年配者から若者に知識や規律が伝承さる。本来、この関係は人が生きてゆくうえで必須で、どこでもあったことだし、ないといけないはずなのである。
後は島出身の若者が島から出た後に、帰ってきやすくなれば尚良い。
帰ってきたいけれど仕事がないので帰れない。移住したいけれど暮らしてゆけない。これは大きな問題である。
このテーマは全国的に過疎化が進んでいる地域に共通の問題なので、様々なところで改善のための取り組みが実践されている。
ただ、その価値観や意識の変化が浸透するには、自身にもあてはまる事、実践出来ると事と、目に見えて置き換えられる体験が必要になる。
ユニマーレでは今のガイド業をベースに、この部分に、取り組んでいきたいとプランがある。多くの知識と実践の交流でより暮らしやすい社会のイメージを拡散してゆく。ここがひとつのテーマです。
僕は関西出身だが、母方の祖父が喜界島出身。
祖母と母が諏訪瀬島出身。
(トカラ列島と呼ばれる種子島、屋久島から奄美大島までの間に広がる小さな島々のひとつ)
そしてその母方ファミリーの移住先の種子島がひとつのルーツなのであった。
祖父たちの時代は暮らしを少しでも良くするためにがむしゃらに突き進んだのだろう。おかげで自分たちは何不自由なく生きてこれた。
矛盾しているようだが、その反面、この島に来て10年。島で生きる魅力は広がり続けている。今の時代こんな時だからこそ、先の時代の子達のために実践してゆきたいことがある。色んな方と関わりながら、教わりながら広げてゆきたいと思う。忘れてはいけない事を今一度。